ふわり、と。嫌な匂いがした。
その香り自体が不快なわけではなく、むしろ春の花のいい香り。
甘く優しく、女性らしい香りだった。
ただ、その香りを纏うのが彼だった故に、嫌な匂いだったのだ。




刹那の香りは、心に潜む。〜前編〜






桜が咲く季節。
中庭には薄い桃色が咲き乱れ、風に吹かれればそれは青い空に白く舞う。
この時代にも花見の習慣があると聞いたは、近いうち政宗を誘って花見に出かけようと考えていた。

そんなある日の午後。
午前中、用があると言って城下に出ていた政宗が帰ってきた。
いつものように「お帰りなさい」と抱き付くと、そこからほのかに香る花の匂いに気付いた。

「・・・・」

抱きついたまま無言になったを不思議に思い、政宗は彼女の顔を覗き込む。

?」

「え、あ、何も、別に」

言外に「どうした」と尋ねられて何もないと嘘をついた。
しかし、そう答えてもまだ政宗は傾げた首をそのままにを覗き込んでくる。
つい、その強い隻眼から目をそらしてしまったところで、後ろからが声をかけられた。

「失礼します。政宗様、今日はまだ執務が全く終わっておりません。」

振り向くと一つ礼をとって小十郎がそこに立っていた。心なしか「全く」が強調されていたように感じる。

「Ah〜、I see,Isee.やるよ、小十郎」

参ったとばかりに両手を上げて軽くため息をつく政宗。
その様子を見上げていると、彼はフッと笑って、

「悪いな。また後だ。」

「・・・・はい」

元気のない声が出てしまったと思う。
多分それに気付かれたと思うが、政宗も本当に忙しいらしく、何も言わずただの頭を撫でて小十郎と歩いていってしまった。
ぽつんと残されたは、ぼーっとしながら廊下を歩いた。
歩きながら頭の中は別のことを考えていた。

あの香りはなに?
・・・あれは明らかに女性が身につけるもの。
それが城下から帰ってきた後に香るなんて・・・・

まさか政宗さまに限って、と思った。

「そうだよ。政宗さまに限ってそんなこと・・・」

――そう思った所で、ハッと気が付いた。
今いるここは戦国時代なのだ。一夫多妻が当然の時代。
例えばが本妻だとしたら、側室が他にいても、それは当然のことだ。

「・・・・・」

あの香り、政宗さまはきっと女性に会ってきたに違いない・・・

でも彼を責めることなど出来ようはずもない。伊達家を守る為には、仕方がないこと。

「・・・仕方・・・ない・・・・。」

でも、・・・・・政宗さまが本当に側室を娶ったらどうしよう。

はふと立ち止まる。
足元に視線を落としたまま、その目はどこか遠くを見ていた。

・・・・きっと自国を何よりも大切に考えている政宗さまなら、国を思って側室をとるに決まっている。
そうしたら、私はどうなるの?
きっと・・・たぶん私を正室にしてくれる。でも・・・・・・

――私以外の人を、愛する日も来る。

・・・・そう思った瞬間、は目の前が暗くなった。

自分の居場所が無くなってしまう。

この時代において唯一の異分子である自分。政宗だけが自分を引き止めるたった一つの存在だった。
そんな彼に自分以外の大切な人ができてしまう。
それはもう、独りだった。この時代に独り。

政宗さまが側室を愛している日は何をしていればいい。

政宗さまが側室と出かけている日はどうしたらいい。

政宗さまがもし、私よりも側室を愛してしまったらどうしたらいい。

蒼白な顔で、は一人立ちすくんだ。
ふわりと足元に流れ着いた桜が、いやに白く見えた。







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