冷たい空気が頬をさす。
ここに留まってから、もうどの位たっただろうか。

仙台。
その港近くの宿屋に、千鶴と風間、天霧は滞在を余儀なくされていた。
新撰組を追ってここまで来たが、蝦夷にたどり着くことが今だ出来ていなかったのだ。





擬似夫婦







がらり、と戸を開けて一室に入ってきたのは、風間だった。

しかし、いつも「おかえりなさい」と言って駆け寄ってくる姿がない。
その当人である千鶴は、窓の近くに座り込み外を眺めていた。
ふいに振り向くと戸の前に立つ風間に気付いて「ぁ・・」と漏らす。

「お、おかえりなさい、風間さん」

「ああ」

「・・あの・・・どう、でしたか?」

千鶴は不安そうに聞きながら、パタパタと風間の方へ走り寄ってくる。
彼女の不安そうな顔はここに来てから毎日見ていた。

「・・・・・駄目だ。」

今日も、一般人が乗れる船が見つからなかった。
蝦夷に行ける日がまた遠のく。

「・・そう、・・ですか・・・。」

千鶴は残念そうに言って俯く。
・・・・少しの間のあと、パッと顔をあげて穏やかに笑んだ。

「ご飯にしますか?それともお風呂に・・って、あれ・・・そういえば天霧さんがまだ・・・」

いつもならこの時刻には帰ってきているはずなのに、今日は帰ってきていなかった。

「ああ・・・あいつは今日は泊まりだ。他所にな。」

は?と首をかしげ、「何かあったんですか?」と問う。

「もしかしたら、船が見つかるかもしれん。だから置いてきた。」

「?・・・どこに、ですか?」

いまいち説明が足りない風間に、千鶴は一つ一つ質問を重ねていく。

「港のすぐ前の宿屋だ。あそこなら、ここより早く情報が入るからな。」

「あ・・・」

風間たちが自分のためにここまで動いてくれる事が、すごく嬉しかった。

「ありがとうございます。私のために、そこまで・・・」

「・・・・ああ。」

風間は、あまり興味なさそうに返事をすると「酒を」と言って隣の部屋に入っていった。
いつものように、部屋着の楽な格好に着替えるらしかった。
千鶴は一つ返事をすると、酒の用意にとりかかった。






夜。

「あれ・・・・?」

千鶴は一人、自室の前で立ち尽くしていた。
いつもなら、この部屋に自分の布団が敷かれるはず。しかし、今夜はなぜか敷かれてもいないし、布団自体もなかった。

「・・・・・?なんで?」

不思議に思い、とりあえず風間が寝床に使っている部屋を覗いてみた。

「あの〜・・・風間さん」

カラ、と戸を開けると、月明かりに照らされた布団の上で胡坐をかく風間がいた。

「・・・・どうした」

やっぱり、この部屋にも敷かれてない・・・・
「あのー・・・私のお布団、知りませんか?」

「・・・・」

「お布団・・・いつもあるのに今日ないんです・・・」

「・・・・・・」

なんだか小さな子供のような言い方に風間は眉をひそめる。

「・・・まるで童のようだな。」

クク、と喉の奥で笑って、おもむろに立ち上がる。
そのまま一人そこに敷かれた布団の中に入ってしまった。

「・・・・・」

取り残される千鶴。

「あの・・・・聞いてました?私のお布団がですね・・・」

「ならここで寝ればいい。」

「・・・・・・・・・・はい?」

耳を疑う様な言葉に、間抜けな声をあげてしまう。

「早くしろ。俺は眠い。」

「え・・・ほ、本気で、ですか?」

「・・・・・」

「あの・・・・」

「・・・寝るのか、寝ないのか。」

「あ・・・えっと、寝ますけど・・・・ここでは・・・」
寝られないよ・・・・・

立ち尽くしたまま、どうしたらいいかわからず、うろたえる千鶴。
その吐く息が、白く染まっている。
まだ季節は冬。いくら部屋の中とはいえ、寝着のままでは当然寒い。
その姿を見て風間は、はあ、とため息をつきながら横になった体を起こす。

「千鶴」

ふいに呼ばれて見てみれば、来い来い、と手招きまでしている風間が目に入った。

「・・・なんですか?」

珍しい彼の行動に千鶴も素直に従う。
と―――近くまで来た彼女の手を、風間はぐいっと引っ張った。

「わっ!!」

ぼすっと音をたてて、千鶴の体は布団の中へと入り込んでいた。

「ちょっと・・!風間さ、何を――!」

ハッと顔をあげると、目の前に風間の首元が見えた。

「っ――――!!」

ドクン、と心臓が強く動いた。
一気に体温が上がり、体中が熱くなっていく。
ドキンドキンという自分の鼓動が耳元から聞こえてくるようだった。

「ぁ・・・・あの・・・」

ふう、と前髪が風間の吐息で揺れるのがわかる。
神経が通っていないはずの髪の毛にまで、彼を感じる距離。

「っ・・・・」

胸元からは彼の心地よい匂いがしてきた。
少しだけ肩の力が抜けた気がした。

「か・・・風間さん・・・・」

「・・・・・・なんだ」

響く低音が、直に伝わってくる。

「どう、して・・・・・こんな―――」
体勢に・・・・

「・・・・まるで夫婦だな。」

「はい?!」

ククと嬉しそうに笑う風間。

「これで寂しくないだろう。」

「え・・・・?」

一人、窓から夕焼けを眺める姿。
たまに目にするそれが、風間には耐えがたいものだった。
早く彼女のために船を探し、一刻も早く新撰組の元へ連れて行ってやりたい。
だが上手くいかない。
今日、いつものように「おかえり」と迎えられなかっただけで、ひどく心が痛んだ。
彼女はどれだけ辛い思いをしているのか、と。

「・・・・・惚れた弱みか・・・」

「え?なん、ですか?」

「ククク・・・なんでもない」

そう言って風間は少し腕の位置を変えて、千鶴を抱き直す。

「今日は冷える。丁度いいだろう。」

一人、納得したように呟いて風間は目を瞑る。

「ちょっと――・・・・・」

すう、と穏やかな吐息が聞こえてきて、千鶴はそれ以上何も言えなくなってしまった。

暖かな体温。ゆっくりと刻む風間の鼓動。

「・・・・」

千鶴はゆっくりと風間の背に腕を回す。
そっと擦り寄ると、千鶴の背にあった彼の手が頭を撫でてきた。
ほっ、と心が落ち付いた気がした。
それはここ仙台に来て、初めて心が安らいだ瞬間だった。
新撰組を追いかけて追いかけて、でも未だに会えない焦りが、今、和らいだ気がした。

「・・・・・・ありがとうございます・・・・風間さん」

そう言って千鶴は目を瞑った。
頭の上で、風間が笑った気がしたが、そのまま眠りに落ちた。




すう、と千鶴の寝息が聞こえてきた頃、風間はゆっくりと目を開けた。
穏やかに眠る千鶴を確かめてから、その前髪に口付けを落とす。

「・・・・望むなら・・・明日も布団は用意させぬようにしてやる。」

自分の秘密の行いにふっ、と笑って風間も眠りについた。