秋月夜






「っくしゅん」

部屋の奥から妻のくしゃみを聞いて、千景は振り向いた。

秋の夜。
空には満天の星に、明るく輝くまるい月。
昼間、風があったせいで一面の夜空は澄み渡っていた。
そんな夜空を見て「月見でもしませんか?」と言い出したのは千鶴だった。
元来、穏やかな風情を好む千景はあっさりと承諾し―――
そうして今に至る。

千景は、黒地に金の刺繍がほどこされた肩掛けを一つ掛け、縁側で先に夜空を見上げていた。
背後のくしゃみに千景は千鶴を見やる。
盆に酒を乗せて歩いてくる千鶴は、いささか薄着なように見えた。

「お待たせしました。千景さん」

コトと縁側に盆を置くと、千鶴は盆をはさんで千景の隣りに座った。
杯を千景が手にすると「どうぞ」と言って酒を注ぐ。

「・・・珍しいな、自分から進んで酌をするなど」

千景が言うと千鶴はニコッと照れくさそうに笑った。
酒を注ぎおわると、そのまま視線をそらすかのように夜空へと目をむける。

「・・・・それに随分と機嫌がいい。」

「・・い、いつもどおりです・・けど・・・」

「・・・・」

「・・・・・・・」

千景は杯を置くと、何を隠している、とでも言いたそうに、ニヤリと笑う。
その表情にギクッとしながらも千鶴は先を言わない。

「ほ、本当に何も――」

「嘘を言うな。」

千鶴の言葉を遮るように千景はその低音をかぶせる。

「―――・・・」

機嫌がいい理由を言いたくないわけではなかった。
だが言ったら言ったで、そんな事で機嫌がいいのか、と言われそうで・・・
少し恥ずかしかったのだ。

ヒュウッと秋風が吹いた。
ざわっと木々が揺れる。

「っくしゅっ!」

千鶴、本日二度目のくしゃみ。
ぶるっと一つ身震いをする。
瞬間、千景が盆を後ろに除け、その手で千鶴を引き寄せた。

「きゃっ!」

「・・・・・」

肩掛けに二人すっぽりと包まれる。

「―――・・・・」

千景の体温を含んだ肩掛けから、ほんわかと温かさが伝わる。
触れた体は徐々に同じ温度になっていく。

「・・・クク、言わねばこのままだ。別段、不快な事もあるまい。」

そう言う千景は楽しそうに笑んだ。

「・・・・・ずっとって・・・?」
いつまで・・・?

「・・・・夜が明けるまでか、あるいは明日の昼までか・・・。」

「・・・・」
要するに私が話すまでってこと・・・?
「〜〜〜・・・・・・はぁ。・・・わかりました、言います。」

そう言うと、千景はじっと千鶴の顔を覗き込んできた。

「・・・実は・・昼間、散歩していたら村の人に声をかけられて・・・」



    *



「今日は風間様とご一緒じゃないのですか?奥方様」

「え?あ、はい、・・今日は一人で」

「そうですか。・・・・・いや残念です。」

「え?」

「・・失礼ながら、お二人の中睦まじいお姿が我々の楽しみでしてねえ。」

「・・・・はぁ・・・?」

「風間様のあんなに優しいお顔、今まで見たことがありませんでしたから。・・・今日は、拝見できませんね。」

「・・・?どうゆう、ことでしょう?」

「奥方様と一緒におられる時だけですよ、あんなに穏やかなお顔で笑われるのは」

「・・え?―――」



    *



「・・・・・・と、いうことなんです・・・」

「・・・・・・・」

さわさわと、秋風が流れていく。
何も言わない千景に、千鶴は顔を朱に染めて俯く。

「・・・」
千景さんからしたら、たかがそんな事、かもしれない。

しかしそれで浮かれてしまう自分が嬉しくもあり、少しだけ恥ずかしくもあった。

どれだけ自分は千景を想っているのか、と・・・。

黙って俯いていると・・・そ、と千鶴の頬に温かい感触が触れた。
見上げると千景の顔がすぐ近くにある。
息がかかるほどの近さ。・・・そのまま、触れるだけの口付け。
軽く瞑った目を開けると―――

ふわり、と

優しく、優しく笑む千景の顔がそこにあった。

「――――」

ぽ〜、と見惚れていると、クク、と口角をあげて千景が笑う。
その唇が、千鶴の耳に触れる。

「単純・・・だな」

「うぅ・・・・」

クスクスと笑うように言われて千鶴はますます恥ずかしくなってしまう。

「だが・・・・・」

「っ・・・・」

―――ぞくっと、耳元の低音に鳥肌が立つ。

「千景さ――」

「・・・抱きたくなった」

「っ――――・・!」

バッと勢いよく顔を離すと千景は少し俯いて、くつくつと何かを堪えるかの様に笑っていた。

「――も〜〜!千景さん!か、からかわないでください!」

その言葉に千景はふと目線をあげ、ニヤリと笑んで

「俺は嘘は言わない。・・・知っているだろう」

「ちか―――んっ」

そう言って千景は、深く深く口付ける。

ざ、と大きな風が吹けば、木々の葉がひらひらと落ちる。

重なる二人の影を、秋夜の月がそっと照らしていた。