あなたの腕の中で
冥界の外は昼間だというのに暗かった。
しかも見知らぬ土地。
無意識に蘇芳の近くを歩くことになる。
ここに来てから数日。
牛魔王の話を聞いて沈んでいた玄奘を、少しの間、蘇芳が連れ出してくれた。
薄闇の中、二人の足音が響く。
この辺りは妖怪の居住スペースではない所。
町から少し離れた郊外。
「・・・・・あのさー、玄奘」
前を向きながら、ふいに蘇芳が声をかけてきた。
「はい・・・?」
視線を向けると、笑みを湛えた蘇芳がこちらを見ていた。
「・・・・なんで、そんなにくっついて歩くわけ?」
「え?」
言われて、はっとする玄奘。
いつの間にか、互いの距離が腕が触れ合うほどに近くなっていた。
「あ、ごめんなさい!」
言って蘇芳と距離をとる。
「はは、謝ることはないよ。まあ、いんだけどね。あんた、あんまり無防備だから・・・。もしかして、俺が敵だって事忘れてる?」
「わ、忘れてはいません・・・けど・・・・」
「・・・・けど?」
「あの・・・く、暗いので・・・・」
そこまで言って言葉を切る。
――怖い
とは言えなかった。
そう、ここは敵地。
簡単に弱みを見せるわけにはいかない。
今朝、腫らした目を見られてしまった事は、要するに“不覚”だったわけで・・・。
そんな様子の玄奘を見て、蘇芳はふーん、と楽しそうに笑って、そのまま先に歩いていってしまう。
・・・・ああ、何も言わなければ良かったです。
少し後悔して玄奘は蘇芳の後を追う。
――と、瞬間、暗い空がパッと明るくなり、すぐにまた元の暗さを取り戻す。
何?と思っている間に巨大な音が辺りを包んだ。
ドオンと、地響きがするほど巨大な音。
「きゃあっ!!」
驚いて両耳を塞ぐ玄奘。
同時に、ボタッと大きな粒が落ちてきた。
足元を見ると、雨粒が次から次へと落ちてくる。
「・・・やばいな。雷だ」
雷!?
そんな程度の大きさではなかった。
何かが爆発したような、大きな建物が音をたてて崩れていくような、そんな巨大な音だった。
「玄奘、こっち」
ぐっと腕を引かれて、建物の屋根の下に入る。
その間に大雨となり、ザーーーという激しい音と共に、周りの景色が霞む。
屋根の幅は人が二人入るには少し狭く、蘇芳は雨に濡れないように玄奘の体を強く引き寄せる。
二人の体が密着する。
抱きしめられている体勢にドクンドクンと玄奘の鼓動が速くなる。
「あ、あの・・・蘇芳」
呼ぶと同時に、また巨大な音が世界を包む。
「っ!!!」
抱きしめられた腕の中で、玄奘は両耳をぎゅっと塞ぐ。
「冥界の雷はさ、大きいから危険なんだよね。」
天を仰ぎ見ながら、蘇芳は何の事もなげに言う。
玄奘はというと
ただ巨大な爆発音と、土砂降りの雨音に耐えるしかなかった。
「~~~~~」
チラリと蘇芳の腕の先に見える路地を見る。
薄暗い路地。
赤い街灯の光に、バシャバシャと激しい音を立てる雨。
そこに稲妻が走る。
見たこともない風景。
どうして、私はこんなとこにいるんだろう・・・・
ふと、頭をよぎった。
蘇芳の纏う蘭の香りが、余計に違和感をおぼえさせる。
知らない場所で、一人ぼっちになってしまった。
悟空・・・八戒、悟浄、・・・玉龍・・・・
寂しさが体中を走った。
たった一人、少なくとも自分を仲間だと思っていない人達の中で、
心細くて、怖い。
玄奘は、きゅっと唇を結んで寂しさをこらえる。
もう一度、雷の音が響いた時、張り詰めていた気持ちが揺らいだ。
ほろっと、涙がこぼれる。
ここで、敵の前で泣きたくなかった。
でも、耐えられなかった。
「っ・・・・ぅ・・・」
声に気付いて蘇芳が玄奘を見る。
腕の中で、玄奘は肩を震わせ泣いていた。
「玄奘?」
「っ・・・うっ・・・」
「大丈夫?」
泣かないように、と蘇芳が言ってくれた。
それでも止められない。
怖い・・・
「・・・玄奘」
蘇芳はそっと玄奘の背中をさする。
「大丈夫だって。俺がついてる。」
明るくて優しい声。
それは出会った時から変わらない。
ぎゅっと蘇芳の服にすがれば、蘇芳は優しく、強く抱きしめてくれる。
「・・・ごめ・・・なさい・・・・」
泣いてしまって。弱くて。
ごめんなさい。
「・・・・大丈夫だよ。俺は、見てないから。」
あとはただ、
何も言わずに包んでくれる。
どうしてこの人は敵なんだろう、と思う。
仲間を思い、敵である自分のことも気にかけてくれる。
出会った場所が、立場が違ったら、もう少し良い関係になれたかもしれない。
それがまた、別の寂しさを呼んだ。
玄奘はいつの間にか、強く蘇芳に抱きついていた。
ふわり、と蘭の香りが揺れる。
同時に蘇芳の鼓動が耳に響いてきた。
雨音は心音に変わり、
雷の音は蘇芳の吐息に代わる。
寂しさは蘭の香りに包まれて、
「・・・ありがとう・・・・ございます、蘇芳」
「・・・・・ん」
小さく答えて、蘇芳はそっと玄奘の頭を撫でた。