貴方を想う 後編





ざーーっと雨音が聞こえていた。
辺りはすでに暗闇に包まれて、外を眺めても、何も見えない。

「・・・・・ヒノエくん、大丈夫かな・・・・。」

今日はヒノエが帰ってくる日。
望美はこの日が待ち遠しくて、半月の間、ずっと落ち着かない日々を過ごしていた。
庭からは、少し遠くに海が見える。
暗くて波の様子はわからないが、荒れているだろうことは想像できた。

船のことはよくわからない。
でもヒノエが乗っているのだから、転覆する、なんてことはあり得ない。

「・・・・・気を付けて、帰ってきて。」

望美は雨が落ちてくる空を見つめて言う。




ぴよぴよ、と鳥が飛んでいく。昨日とはうって変わって、一面の青い空が広がっていた。
昨夜、ヒノエは帰ってこなかった。

あれだけ雨が降っていれば、当然海も荒れているだろうし、仕方ない。

望美はそう思って、今日こそヒノエが帰ってくるだろうと部屋の掃除をし始めた。
町では船旅から帰ってくる水軍一行を歓迎する準備が始まっていた。
港には市がたち、早くも煮炊きが始まっている。
望美が港へ出ると、船員に夫を持つ妻や、その子供たち、町の人たちがニコニコとしながら集まってくる。

「今日こそ帰ってきますよね。」

「楽しみですね、望美様。」

「皆、無事に帰ってきてほしいです。」

皆が皆、船員の帰りを心待ちにしているのがわかる。
と―・・・
波打ち際に一つ、木の破片が打ち上げられた。
海の遠くに目をやると、後からあとから沢山の破片が流れてくる。
ざわざわと、先ほどとは違うざわめきが人々が覆う。

「これ・・・・まさか船の・・・?」

誰かが言うと辺りが一瞬静かになる。

「昨日は・・・・地方では、だいぶ被害が出たみたいだけど・・・」

「・・・おい・・・・それって・・・・」

「何言ってるの!・・・別当様が指揮をとってらっしゃるのよ?あり得ないわよ!」

ざわざわと周りで口々に言い合う。
望美は木の破片を一つ取ると、海を見つめる。
心臓が徐々に強く鼓動を刻みだす。

―約束は守るよ、望美―

ぎゅっと破片を握りしめる。活気に溢れていた港は静まり、遠くで子供の泣き声が聞こえる。

「・・・・望美様・・・」

後ろから声をかけられ振り向くと、そこには今にも泣き出しそうな女性が立っていた。
望美は困ったように笑うと女性の肩をさする。

「大丈夫ですよ。この破片だって熊野の船のものと決まったわけじゃないでしょう?昨日は海が荒れてたんだもの。どこからか流れてきたものよ。」

そう言ってやると女性は少し微笑む。

「皆さんも、心配しないで。帰ってきた船員たちのために美味しい御馳走を作って待っててあげましょう!」

望美がそう言うと港は少し元気を取り戻す。

「そうだ。帰ってくるんだから。早く準備を!」

「こっち、お米が足りないわ。」

不安が潜む声で、それでも町の人たちは船員たちのために動き出す。
望美は木の破片をぽいっと足元に捨てて煮炊きの手伝いを始める。




そうして日が暮れ、空が夕闇に包まれた頃。
海の遥か遠くに、小さく船が見えた。
港は一気に盛り上がりを見せる。

月が高くに上る頃、熊野の船は無事に帰って来た。

「おかえり、父様!」

「おかえりなさい!あなた!」

港では宴会が始まった。
船員たちをもてなし、皆で協力して交易で得たものを蔵に運ぶ。
望美は、というと
人だかりの一番後ろにいた。
船の上に赤い髪を探す。
荷物を船員がおろしている中に、彼はいた。

ヒノエくん!

声を上げたいのを我慢する。手前では町の人たちが主人の帰りを喜び合っているからだ。
そのうちに船の上からヒノエが砂浜の方を見渡す。
望美を見つけてにこっと微笑むと、そのままひらりと船を飛び降りる。
人だかりを抜け、真っ直ぐに望美のもとへ来る。
望美は柔らかく微笑んで、ヒノエのもとへ歩み寄る。
距離が近づくにつれて、ヒノエの優しい顔がはっきりと見えてくる。

「・・・・望美」

呼ばれた瞬間、涙が溢れた。
走ってヒノエに抱きつく。

「おかえり!」

ヒノエはそのまま強く望美を抱きしめる。

「ただいま、望美。心配かけたね。」

うっうっ、と嗚咽が漏れる。
その背中をヒノエは優しくさする。

「約束より・・・一日遅れた・・・・・・・ごめん。」

言うと
ヒノエくん、と小さく声が聞こえた。
抱きついたままの望美を見やると、その頬は涙で濡れていた。
そっと顔に落ちた前髪を分けてやる。

「・・・・怒ってるかい?」

ううん、と首を振る望美。

「怒ってるわけないでしょ・・・ひっく・・・・・・こ、怖かったの・・・・ヒノエくん・・・ひっ・・・帰って・・来なかったらどうしよ・・・・って・・・ひっく・・・」

ヒノエは望美の額に口づける。そっと唇を離して、鼻がくっつくほど近くで囁く。

「ごめん、望美。怖い思いをさせてしまったね・・・。どうしたら・・・・怖くなくなる?」

望美はヒノエを見つめて、そのまま唇を重ねる。

「ん・・・・・」

突然の口付けにヒノエの声が漏れる。

「ずっと・・・・今日も・・・明日も、ずっと・・・・・傍にいて・・・・離さないで。」

必死に言う望美を見て、ヒノエは優しく笑う。

「約束する。絶対に破ったりしないよ。」

「うん」

ぎゅっと抱きしめ合う二人。

「それに・・・それって俺にとってはご褒美になっちゃうからね。」

「?」

「愛しい姫君が怖がりでよかった。・・・・・なんて言ったら怒る?」

「・・・・・―もう!反省してないでしょ、ヒノエくん!」

ぽろぽろと涙を流しながら声を上げる望美。

「してるさ。俺も怖かったからね。望美との約束が守れなかったから、本気で嫌われたらどうしようってね。」

「嫌うはずないもん!」

「ん・・・・良かった・・・・」

そう言ってヒノエはもう一度口づけを落とす。
そのまま望美を抱えあげて、二人、自宅へと帰っていく。

「もう怖くならないように。今夜はずっと抱きしめてあげるよ。」