心を静める人






常世の国、王族が暮らす奥宮内。

中つ国の姫が嫁いできてから数週間がたった頃。





「リブ!」

背後から声をかけられて、皇の側近・リブは沢山の書類を抱えたまま振り向く。
見ると、廊下の先から現皇・アシュヴィンが大股に歩いて来る。

「・・・どうかされましたか?」

「千尋はどこにいる。」

「・・・・は?千尋様・・・ですか?」

アシュヴィンにしては珍しく、眉を寄せて不機嫌を顔に出していた。

「さあ・・・少し宮内を散歩してくるとはおっしゃってましたけど・・・・まだお部屋にお戻りでないんですか?」

先に仕事を終えた千尋は、アシュヴィンより早く部屋に戻っているはずだった。
しかしアシュヴィンが戻ってみると、そこにいるはずの妃がいない。
待っても待っても戻ってこない。
いよいよ日が陰り始めたので、こうしてアシュヴィンが探しに出たのである。

「散歩・・・?」

“宮内の散歩”

“千尋の散歩”には、終わりがなかった。
なぜなら・・・・

「はあ〜・・・探しに行ってくる。」

ふいっと背を向け奥宮のさらに奥へと歩いて行くアシュヴィン。
その姿をリブは微笑みながら見送った。





カツカツと足音が響く。
千尋は奥宮の廊下を歩いていた。
石でできた太い柱が何本も並び、庭には緑が溢れている。
まるで、少しずつ元気を取り戻していくこの国を見ているようで、ここを散歩するのが好きだった。
が、しかし。
散歩をするのはいいが、道に迷ってしまうことが多々あった。
ここにきてまだ数週間。
この広い城の中を全て把握できるはずもなく・・・
今日も然り。
どのように歩いて行ったら宮に戻れるのか、わからなくなってしまったのだ。

「・・・・あれ・・?またここに来ちゃった。も〜、広すぎー!」

カツカツと足音を響かせて、今度は左に曲がってみよう、と考えていた時だった。

「まったく・・・いつになったらここの構造に慣れてくれるんだ、我が妃は。」

その声に千尋が振り向く。

「アシュヴィン!」

アシュヴィンは呆れ顔で、曲がり角の先に立っていた。
嬉しそうな顔で駆け寄ってくる千尋に、口元が緩む。

「ごめんなさい、また迷っちゃった。ここ広いから、なかなか覚えられなくて。」

手が届く位置まで来て足を止める千尋。
アシュヴィンはその手を取る。

「あ・・・」

「行くぞ。もう夕食の時間だ。」

手をつないだまま石畳の廊下を歩く。
辺りはすでに暗くなっていた。

「今日はね、昨日よりは道がわかるようになったよ。」

「そうか。」

あそこがこうなって〜それでここが〜、と
ぶつぶつと聞いてもいない説明をしている千尋が可愛くて
アシュヴィンはくすっと笑う。

「全部覚えれば、アシュヴィンに迎えに来てもらわなくても大丈夫になるよ。」

千尋は千尋なりに、迷惑をかけないようにと必死になっていた。
だからこうして毎日奥宮巡りをして、その構造を覚えようとしていたのだ。

「・・・・」

きゅ、っと握られた手に力が込められる。

「・・・・・アシュヴィン?」

微妙な空気の変化に気付いて、千尋が呼ぶ。

「・・・別に・・・・覚えろとは言ってないぞ。」

「・・・・はい?」

足を止めて、アシュヴィンが振り向く。

「構造など覚えなくともいい。帰ってこなければ、俺が探しに行けばいいんだからな。」

「・・・・・・アシュヴィン・・・」

なんとなく・・・・
その裏の本音が聞こえた気がして

千尋はクスッと笑う。

「迎えに来てくれるの?」

「いつもそうだろう?」

「うん。そうだね。・・・・・」

嬉しくて、心がくすぐったかった。
その嬉しさを伝えたくて、千尋はそっとアシュヴィンに寄り添う。

「・・・こうして、宮内を二人きりで散歩するのもいいだろう。」

「うん・・・」

アシュヴィンの胸元に頬を寄せる。
以前なら出来なかった行為を、
今は出来る。
愛しくて、触れたくて
夫婦になれたから許される距離を
千尋は嬉しく思う。

手をつないでいない方の手で、アシュヴィンが千尋の肩を抱く。

「千尋・・・」

「・・・ん?」

「愛してる・・・」

急な言葉に千尋は驚いた顔をして、
でもすぐに笑顔になる。

「・・・・・私も、愛してます。」

にこっと笑う千尋に、アシュヴィンは優しく口付ける。
ちゅっと音がして千尋の顔が真っ赤に染まる。

「・・・近くにいないと心が静まらない。
存外俺も、子供なのかもしれないな・・・。」

アシュヴィンは聞こえない声で言って、千尋の手を引く。

「なに?何か言った?」

アシュヴィンはくすくすと笑う。

「なんでもないさ。」

「?」

口元に手を添えてクスクスと笑うアシュヴィン。
千尋は首をかしげてその顔を覗き込む。

「???」

寄り添って二人、宮へと戻って行った。